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ナイトフライ~録音芸術の作法と観賞法

Grasshoppa!
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前回のblogで取り上げた冨田恵一『ナイトフライ~録音芸術の作法と観賞法』、読了いたしました。予想どおり、面白かった~。あえて『The Night Fly』CDを一回もかけず、文章を読んで頭の中で鳴る『The Night Fly』のみを頼りに味わいました。(既に相当な変態的行為ですね…)なかでも「これ映像でいうところの合成(コンポジット)のハナシじゃん」と思ったのが、ライン録音とアンプ録音の違いによる楽器の距離感の話。シンセとベースは一般的にライン(要はコードでつながれてスタジオ内で音は出ない状態で)で録音され、“一切の空気を含まない”。
(もちろんそれぞれ電気的な残響音や馴染ませのためのアンプ録音の音を混ぜることもある)よって、低音域であり、特別な意図がない限り“前”に位置する。この“空気を含む”という表現にハッとしました。
映像で手前にあるものは、空気を含まず、奥に行くにしたがって空気の層を感じさせてコンポジットしていかないと、画が不自然に見えるのです。
目と耳で情報を受け取る器官は違うのだが、まったくおなじやん。考え方。あとは、“エモーションを生みだす根源は何か”という命題を冨田先生は、『Night Fly』の中に見出す。(たぶんこれは冨田先生がずっと“フォーム(形式)とエモーションの関係”をずっと考えているからだとおもいます)アルバム中6曲目と7曲目に位置するタイトル曲『The Night Fly 』と続く『The Goodbye Look』のある部分がリリースから30年以上経過した今もプロの音楽人である冨田先生の心を打ち続けるのか。それは、「(以下引用)フォームの不定形による緊張から解放され、安堵し、不定形だからこそ、ショッキングな手法は小さな驚きとイマジネイティブな余韻に落ち着いた。」そして、全8曲のアルバムでこの2曲がこの位置にあることもアルバム全体の流れで“安堵”と“小さな驚き”に作用している。
つまりこの1曲の構造がアルバム全体の構造をポリフォニックに体現している。フェイゲンはフォームを逸脱したスリルを、不定形が定形を上回る効果を信じてこのフォームを推し進めたのではないか、と。
これを読んで、なぜドランの映画はエモーショナルなのか、マームの「Cocoon」が物語性を解体した上でのエモーションに辿りついているのかということの理解のヒントになるような気がしました。
エモーションはエモーションによってしか生まれない、というのは事実なのですが、それを支えるフォームとミクロのパーツの有機的な結合は、ある種幾万回のトライ&エラーによる精緻な実験とそれに導かれた理論に裏づけられいるのかもしれません。(K)

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