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『映画:フィッシュマンズ』@キネカ大森

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この映画、東京での公開直後から地方ロケ@岡山で1ケ月不在だったため、(岡山ではその時期公開されておらず、一瞬広島か京都で観ようかとも思ったがそんな余裕は当然なく)東京に戻って、折角だから立川シネマシティの極音上映で観ようと思っていたら、割と短期間で終了しており…やって来ましたキネカ大森。たぶん『未来世紀ブラジル』以来だから…35年ぶり…貴館も私も幾年月….(涙)。以下、いちフィッシュマンズファンとしての所感(そして敬称略)です。上映時間172分のレイトという状況にビビリながら観ましたが、一瞬たりとも自分が緩むことはなかった。正座して(してないけど)背筋を伸ばして(してないけど)見入りました。インタビューで紡がれる言葉の重みにグッとキテいるのか、劇場環境で聞くサウンドにしびれているのか、判然としないが2日たった今でもなお胸がざわつきます。それはなぜなのか。この映画は「フィッシュマンズというバンドの歴史」と「99年佐藤伸治(Vo.)突然の逝去で残された人々(バンドメンバーであり、母であり、マネージャーであり、評論家であり、レコード会社担当であり、ミュージシャン仲間であり)の佐藤という人間=音楽への想い」が織り交ぜられながら、想定された仮説=結論のようなものに誘導せずに、とてもフラットに語られているドキュメンタリー映画です。その中でも佐藤の存命中にバンドを脱退したメンバー小嶋謙介、ハカセの両極の言葉が実に心に響いた。(柏原譲(B.)は私の中では最後まで佐藤と添い遂げたメンバーである)脱退した理由と佐藤への想いが、とても飾りなく、ただ自分の気持ちに言葉が追いついているかを確認しながら慎重に絞り出されてゆく。その今も葛藤する姿に思ったのは、たぶんバンドを辞めることって自分の分身(青春)を一つ殺すこと等しいんだな、と。(佐藤はメンバーを失う度、それ以上に自分を損ねた。佐藤が一時期小さなリスを飼っていたというエピソードが写真と共に母から語られるのだが、僕には佐藤が寂しいと死んでしまうウサギに見えた)そして肉親に等しい友人を死で失った人間を苛む喪失感がこの映画には描かれている。それは「人間が死ぬって何?どういう事?」という根源的な問いになっていると思った。佐藤亡き今もバンドを続ける茂木欣一(Dr.)の意志は言葉では語られないが、「人間の命は一瞬だが、音楽は永遠に鳴り続くことが出来る」という事を証明する為にやっているのでは?と感じた。あと若い時の佐藤伸治は松本大洋が描くキャラクターみたいだな‼ホントにビー玉みたいな目をしてさ(K)

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