Feb
カタチノチガウ
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マームとジプシー『カタチノチガウ』@原宿VACANT追加公演を観ることが出来た。
三人の女優(青柳いづみ、川崎ゆり子、吉田聡子)が、丘の上に住む三姉妹を演ずる。
1月18日に青柳いづみの体調不良で中止されたことを受けて、急遽追加されたこの公演にかける作演の藤田貴大の丁寧な気持ちが、繊細な手紙のようなパンフに綴られていた。
(以下、引用)
『カラダ、カタチ、コドモ、旅。』
一月に、青柳いづみのカラダを壊してしまった。
じつは、そのまえにも、吉田聡子も壊れてしまっていた。
この作品は、さんにんのカラダを通して、現在のぼくとして、
また世界を把握してゆく作業だった。
だからこそ、壊れたときに。
その、カラダとしての旅が終わってしまう気がして。あんなに悔しかったことはなかった。
ぼくの作品が中断されるなんて、そんな日が来るだなんて想像したこともなかった。
カラダは、旅は、まだまだ当たり前につづくと思っていたのだ。
中断された翌日、ぼくはあるひとに会いにいった。
あるひととは、蜷川幸雄だ。彼はぼくに会うなり、こう言った。
「いのちは有限なのだと、ここにきてやっとわかったよ」
ぼくも有限、ぼくの作品も有限。そもそも、舞台は一回かぎり。つねに一回かぎりに、ぼくらは生きる。
空間として、やり残したことがある。
VACANTのみなさんに、感謝。
素晴らしい空間をいつも、ありがとうございます。
やり残したこと、きちんと空間として決着すること、でも終わらないこと。
上演が終わったあと、ずっとずっとつづいていくこと。たとえ有限でも、ずっと。
カタチノチガウコドモとして、カラダは旅をつづける。
2015.2.18 朝 藤田貴大
上の言葉が表すような、その真摯さ、率直さ、世界と向き合う姿勢に感銘を受けた公演でした。また、人間の肉体と精神の乖離のような感覚であるとか、うつわとしての身体という視線は先のblogに書いた片山真理に通ずるものを感じました。(K)